OD辞めて一年経った
私にとっていつも恋愛とは、辛い辛い苦しい苦しい不安不安不安!死!死!死!と、あ…嬉しいの比率が9:1です。
セッション終わりましたがあまり嬉しくない。でも私も私が好んでやまない人も合格でした。頼むから次からも同じクラスに配置してくれ。
最近色々あったかもしれない。けどあまり思い出せない。とりあえず抗鬱剤は飲んでるし、人格の歪みは顕著になるし、昨日一昨日と頓服を飲み朦朧としている。だが頓服を飲むと、英語が流暢になることを発見した。近頃は…(名前)とばかり話すので語学力の低下が本当に気がかりだ。だが、…と話すことは何が何でも譲れない。これは自力でなんとかするしかないと、先週はスタバの無料WiFiを活用しリスニングとスピーキングを練習しました。それでも最近は、独り言の冒頭がl think... とかit's... になってきたかもしれない。いいことなのか?
それから私は、どうも日本人の塊によく思われていないんじゃないだろうかというのが発覚しつつある。ただ、小蝿の音は気にならない。こいつらに何か言われるのはどうでもいい。…に嫌われるのだけが大きな問題だ。お気付きのように、大分人格歪んでます。
先週は、花火を見に行った。先々週はビーチに行った。今週はビーチで夕日を見る。しかしこれらは、安心材料にはなり得ない。自我が無い、依存傾向、4時間の間で天と地の差のテンション、訳の分からん孤独感、
生きています。それは、生きている。私は、生きています。おそらく。そしてそれは私です。エキサイト翻訳並みの虚無感。
死は救済です。相変わらず飛び降り強迫観念が消えません。
ところで、ODを辞めて一年が経ちました。
辞めたのはこの直後だろう。一度眠剤を抜いただけでえらい目にあったのだ。しかし大口を叩いてはいけないというのは鉄則だ。調子に乗れば乗るほど、再開してどん底に落ちる可能性がぐんと上がるからだ。ODをしたくなる因子はそこら中に転がっているし私が最近ODをしない理由は、「もし肌が荒れたら困るから」「学校休みたくないから」くらいしかない。むしろODしていてもなんら疑問のない状況だ。ただ、状況に明らかな差異が認められる。日本にいた際と圧倒的に違うのは、周囲からの承認だろう。足りてはないけど。ここでは私の名前を呼んでくれる人がたくさんいる。友達未満知り合い以上だとしても、講師だとしても。いないものではない自分という認識。これが自信になればいい。
よくやりました。次のレベルをパスするのはかなりの難関だが、それが出来ればかなり大きな目標を達成できることになる。
果汁を吸うのは好きですがこうじゃないかも。
サービスで貰いました。
Congratulations!自分。